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スウェット史に残る2つの傑作
「フーディ」と「リバースウィーブ®」を発明

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1930年代
フード付きの
スウェットシャツ「フーディ」を発明

アスリートたちがウォームアップする際や、試合中に控え選手たちが身体を冷やしにくいよう、防寒性を高めるため、スウェットシャツにフードを取り付けるアイデアを発案。今日では誰もが知る「フーディ」を誕生させた。

1934年
サム・フリードランドが「リバースウィーブ®」を
考案し、製法特許を取得

アメリカ中西部の担当セールスマンのサム・フリードランドが顧客から洗濯による縮みを指摘され、1934年に「リバースウィーブ®」製法を考案し、その後1938年に特許を取得。さらに1952年には両脇に「EXPANSION GUSSET(エクスパンションガゼット)」を採用する製法へと改良し、2度目の特許を取得。今日まで受け継がれているリバースウィーブ®の礎を築いた。

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1938年
米国の有力ストアに向けて幻のアスレチックシャツ
「RABART」を製作し、デザイン特許を取得

リバースウィーブ®を考案したサム・フリードランドが、同じように縮みを軽減しつつ、運動性にも優れるスウェットを考案し、デザイン特許を取得。当時はチャンピオンの社名を冠することなく、「RABART(ラバート)」という商品名で、アメリカの有力ストアの通販カタログでのみ販売されていた。わずか数年で販売終了したことから、幻のアスレチックシャツとして語り継がれることに。

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1930年代当時のリバースウィーブ ®1stパテント(上)
1950年代当時のリバースウィーブ ®2ndパテント(下)

サム・フリードランドはチャンピオンに勤める以前、アメリカの歴代大統領のスーツを仕立ててきたことでも著名な老舗紳士服店「ヒッキーフリーマン」でカッターを務めていた。洗濯後の縦縮みを軽減するためのアイデアとして、本来は縦方向に使われる生地を横方向に使用する「リバースウィーブ®」製法も、この服作りに詳しいセールスマンがいたからこそ開発できた。上はまだ両脇にエクスパンションガゼットを設ける以前の、極めて希少な1stパテントモデル。下は今日まで基本仕様を変えずに受け継がれる2ndパテントモデル。

アーカイブを完全復刻したモデルも

スウェット史に残る2つの傑作 「フーディ」と「リバースウィーブ®」を発明

Image 1

1930年代
フード付きの スウェットシャツ「フーディ」を発明

アスリートたちがウォームアップする際や、試合中に控え選手たちが身体を冷やしにくいよう、防寒性を高めるため、スウェットシャツにフードを取り付けるアイデアを発案。今日では誰もが知る「フーディ」を誕生させた。

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1934年
サム・フリードランドが「リバースウィーブ®」を 考案し、製法特許を取得

アメリカ中西部の担当セールスマンのサム・フリードランドが顧客から洗濯による縮みを指摘され、1934年に「リバースウィーブ®」製法を考案し、その後1938年に特許を取得。さらに1952年には両脇に「EXPANSION GUSSET(エクスパンションガゼット)」を採用する製法へと改良し、2度目の特許を取得。今日まで受け継がれているリバースウィーブ®の礎を築いた。

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1938年
米国の有力ストアに向けて幻のアスレチックシャツ 「RABART」を製作し、デザイン特許を取得

リバースウィーブ®を考案したサム・フリードランドが、同じように縮みを軽減しつつ、運動性にも優れるスウェットを考案し、デザイン特許を取得。当時はチャンピオンの社名を冠することなく、「RABART(ラバート)」という商品名で、アメリカの有力ストアの通販カタログでのみ販売されていた。わずか数年で販売終了したことから、幻のアスレチックシャツとして語り継がれることに。

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1930年代当時のリバースウィーブ ®1stパテント(上)
1950年代当時のリバースウィーブ ®2ndパテント(下)

サム・フリードランドはチャンピオンに勤める以前、アメリカの歴代大統領のスーツを仕立ててきたことでも著名な老舗紳士服店「ヒッキーフリーマン」でカッターを務めていた。洗濯後の縦縮みを軽減するためのアイデアとして、本来は縦方向に使われる生地を横方向に使用する「リバースウィーブ®」製法も、この服作りに詳しいセールスマンがいたからこそ開発できた。上はまだ両脇にエクスパンションガゼットを設ける以前の、極めて希少な1stパテントモデル。下は今日まで基本仕様を変えずに受け継がれる2ndパテントモデル。

アーカイブを完全復刻したモデルも

カレッジとの結びつきによって
“トレーニングウェア”から“キャンパスウェア”に

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1926年
ウェントワース陸軍士官学校と提携
以降“学生向けユニフォーム”が主力製品に

ミズーリ州レキシントンのウェントワース陸軍士官学校に制服(セーター)を販売。生徒たちはその品質に感銘を受け、同校はチャンピオンに競技用ユニフォームの制作も依頼した。これが今日チャンピオンの伝統になっている、教育機関とのビジネスを開始する契機となった。

1934年
ミシガン大学が大学として最初の顧客に
現在では約2500校のブックストアで取り扱い

ミシガン州アナーバーの老舗「モー・スポーツ・ショップ」と契約したことが契機となり、ミシガン大学の記章入りのカスタマイズ・スポーツウェアを取り扱う契約を締結。大学構内のブックストア(生協)は、名前通り当初は本や文房具しか販売していなかったが、この大学名をプリントしたチャンピオン製品の導入をきっかけに、さまざまな日用品も扱うようになった。現在ではアイビーリーグを含む全米2500 校以上でチャンピオンの製品が販売され、ブックストアの定番品目として親しまれている。

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1990年代のイェール大学ロゴ入りスウェット(上)
1970年代のフットボールTシャツ(下)

アメリカで3番目に古い歴史を持つ名門イェール大学もまた、長年チャンピオンと密接な関係を築いてきた。幅広いキャンパスウェアを制作してきたなかで、写真の「YALE」という大学名が配されたリバースウィーブ® クルーネック スウェットシャツは、最もポピュラーなアイテムのひとつ。年代によってもグラフィックが微妙に異なっており、ヴィンテージ市場でも付加価値がつけられている。また学校名やナンバリングがあしらわれたフットボールTも、現在まで変わらずに展開し続けているキャンパスウェアの永世定番。フットボールのユニフォームを模した胸と背面の切り替えや、長めの袖丈、個性豊かなプリントで、アメカジファッションに欠かせないアイテムとして人気を博している。

公式カレッジライセンスから
カレッジ風グラフィックまで多数!

カレッジとの結びつきによって “トレーニングウェア”から“キャンパスウェア”に

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1926年
ウェントワース陸軍士官学校と提携 以降“学生向けユニフォーム”が主力製品に

ミズーリ州レキシントンのウェントワース陸軍士官学校に制服(セーター)を販売。生徒たちはその品質に感銘を受け、同校はチャンピオンに競技用ユニフォームの制作も依頼した。これが今日チャンピオンの伝統になっている、教育機関とのビジネスを開始する契機となった。

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1934年
ミシガン大学が大学として最初の顧客に 現在では約2500校のブックストアで取り扱い

ミシガン州アナーバーの老舗「モー・スポーツ・ショップ」と契約したことが契機となり、ミシガン大学の記章入りのカスタマイズ・スポーツウェアを取り扱う契約を締結。大学構内のブックストア(生協)は、名前通り当初は本や文房具しか販売していなかったが、この大学名をプリントしたチャンピオン製品の導入をきっかけに、さまざまな日用品も扱うようになった。現在ではアイビーリーグを含む全米2500 校以上でチャンピオンの製品が販売され、ブックストアの定番品目として親しまれている。

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1990年代のイェール大学ロゴ入りスウェット(上)
1970年代のフットボールTシャツ(下)

アメリカで3番目に古い歴史を持つ名門イェール大学もまた、長年チャンピオンと密接な関係を築いてきた。幅広いキャンパスウェアを制作してきたなかで、写真の「YALE」という大学名が配されたリバースウィーブ® クルーネック スウェットシャツは、最もポピュラーなアイテムのひとつ。年代によってもグラフィックが微妙に異なっており、ヴィンテージ市場でも付加価値がつけられている。また学校名やナンバリングがあしらわれたフットボールTも、現在まで変わらずに展開し続けているキャンパスウェアの永世定番。フットボールのユニフォームを模した胸と背面の切り替えや、長めの袖丈、個性豊かなプリントで、アメカジファッションに欠かせないアイテムとして人気を博している。

公式カレッジライセンスから
カレッジ風グラフィックまで多数!

品質と機能性の高さが
“ミリタリー”の分野でも評価される

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1939年
海軍士官学校からの要請で訓練用の
“リバーシブルTシャツ”を開発

当時すでに良質なカットソーの作り手として認知されていたチャンピオンは、アメリカ海軍士官学校から、「一着で紅白戦が行えるTシャツ」を依頼され、表と裏の色が異なるリバーシブルTシャツを開発し、1941年に製品化した。記念すべき第1号は、海軍士官学校のチームカラー、ネイビーとゴールドだった。

1950〜60年代
USMA(陸軍)、USNA(海軍)、USAFA(空軍)と、
各軍の士官学校にむけて特注モデルを開発

軍装品だけではなく、アメリカの各軍の士官学校に向けて特注モデルを開発し、軍部や基地内のショップでも製品が販売されるようになった。とくに過酷なシチュエーションにも適応する耐久・保温・運動性を兼備したスウェットシャツは、その優れたクオリティで、アメリカ全土で注目される存在に。

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1987年
アメリカ陸軍にPFU
(Physical Fitness Uniform)として
制式採用される

アメリカ軍では、軍に関するあらゆる製品に「Military Specification(通称ミルスペック)」という厳正な基準を設けている。どの製品もこの基準をクリアしない限り正式に採用されることはないが、この年、チャンピオンのジップフーデッドスウェットシャツ、スウェットパンツは、同基準を満たし、新兵のトレーニングウェア「PFU」として採用された。

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USAFAのウォームアップ用ハーフジップスウェットシャツ(上)
1987年製のPFUのTシャツ(下)

USAFA(米国空軍士官学校)に向けて制作した、極めて珍しいハーフジップスウェットシャツ。米軍のお墨付きを得て、これまでさまざまな企業がサプライヤーとして名を連ねてきたが、チャンピオンもその内のひとつ。幅広い製品を納入してきたなかでも、下のARMYロゴ入りのTシャツは特に著名な存在。

公式ライセンスアイテムや
アーカイブを完全復刻したものも豊富!

品質と機能性の高さが “ミリタリー”の分野でも評価される

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1939年
海軍士官学校からの要請で訓練用の “リバーシブルTシャツ”を開発

当時すでに良質なカットソーの作り手として認知されていたチャンピオンは、アメリカ海軍士官学校から、「一着で紅白戦が行えるTシャツ」を依頼され、表と裏の色が異なるリバーシブルTシャツを開発し、1941年に製品化した。記念すべき第1号は、海軍士官学校のチームカラー、ネイビーとゴールドだった。

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1950〜60年代
USMA(陸軍)、USNA(海軍)、USAFA(空軍)と、 各軍の士官学校にむけて特注モデルを開発

軍装品だけではなく、アメリカの各軍の士官学校に向けて特注モデルを開発し、軍部や基地内のショップでも製品が販売されるようになった。とくに過酷なシチュエーションにも適応する耐久・保温・運動性を兼備したスウェットシャツは、その優れたクオリティで、アメリカ全土で注目される存在に。

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1987年
アメリカ陸軍にPFU(Physical Fitness Uniform)として 制式採用される

アメリカ軍では、軍に関するあらゆる製品に「Military Specification(通称ミルスペック)」という厳正な基準を設けている。どの製品もこの基準をクリアしない限り正式に採用されることはないが、この年、チャンピオンのジップフーデッドスウェットシャツ、スウェットパンツは、同基準を満たし、新兵のトレーニングウェア「PFU」として採用された。

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USAFAのウォームアップ用ハーフジップスウェットシャツ(上)
1987年製のPFUのTシャツ(下)

USAFA(米国空軍士官学校)に向けて制作した、極めて珍しいハーフジップスウェットシャツ。米軍のお墨付きを得て、これまでさまざまな企業がサプライヤーとして名を連ねてきたが、チャンピオンもその内のひとつ。幅広い製品を納入してきたなかでも、下のARMYロゴ入りのTシャツは特に著名な存在。

公式ライセンスアイテムや
アーカイブを完全復刻したものも豊富!

多様なスポーツと歴史を刻む
アスレチックウェアの先駆

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1967
アメフト選手のために
ナイロンメッシュジャージーを開発

炎天下のなか重厚な防具に身を包み、膨大な運動量を要するアメフト選手たちのニーズに応えるため、ナイロンメッシュジャージー製品を開発。軽くて耐久性に優れるうえ、熱疲労の影響も低減し、パフォーマンスの向上にも繋げる同製品は大成功を収め、すぐさまバスケットボールや陸上競技、ラクロスといった他のスポーツにも転用。多くのメーカーにコピーされ、スポーツウェアの定番として定着していった。

1968
「レディ チャンピオン」を導入し
女性用アスレチックウェアを変革

1930年代から女性のスポーツ市場にも力を入れたチャンピオンは、1950年代に入ると女性専用にデザインしたスポーツウェアの製造を開始した。さらに1968年には伝統的な体育ユニフォームだけでなく、当時最新のスタイルを取り入れた「レディ チャンピオン」という専用ラインを導入し、Tシャツとショートパンツを組み合わせたモダンなスタイルへの変革を促進。1990年代に入ると女性ランナー向けのジョグブラも発売した。

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1980年〜1990年代
NBAと提携
全27チームの公式ユニフォームを制作

1980年初頭から20年以上に渡って世界最高峰のNBAと提携し、1990年に当時の全27チームの公式アウトフィッターに。また1992年のバルセロナ・オリンピックにおいては、初めてNBAの現役選手たちを招集した、史上最強とも称されるアメリカの男子バスケットボールチーム「ドリームチーム」のユニフォームも提供。さらに1996年のアトランタ・オリンピック時には、同じく初めてプロ選手たちで構成した女子のドリームチームにも、チャンピオンのユニフォームが着用された。

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1993年
94年、96年のアメリカ・オリンピック・チームの
公式アウトフィッターとなる契約を締結

この契約を受けて、チャンピオンは選手の着用モデルと同仕様のレプリカ・ラインを生産。1994年のリレハンメル・オリンピックに向けてレプリカ・コレクションを製作し、1996年のアトランタ・オリンピックに際しても、Tシャツやスウェットシャツ、ショーツ、帽子などのアイテムを製作した。

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1990年代当時に選手が実際に着用していたNBAユニフォーム(上)
1970年代のアメリカンフットボールチームジャージ(中)
2019年に選手が実際に着用していたBMXアメリカ代表ユニフォーム(下)

バスケにアメフトにBMXに…数え上げればキリがないほど多彩なスポーツのユニフォームや練習用ウェアなどを制作。当然素材やパターン、細部の仕様は各スポーツ毎にすべて異なるが、いずれもベストパフォーマンスを発揮できるように開発されている。

90年代米国4大スポーツスタイルがルーツの
ストリートカジュアルウェアが豊富!

多様なスポーツと歴史を刻む アスレチックウェアの先駆

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1967
アメフト選手のために ナイロンメッシュジャージーを開発

炎天下のなか重厚な防具に身を包み、膨大な運動量を要するアメフト選手たちのニーズに応えるため、ナイロンメッシュジャージー製品を開発。軽くて耐久性に優れるうえ、熱疲労の影響も低減し、パフォーマンスの向上にも繋げる同製品は大成功を収め、すぐさまバスケットボールや陸上競技、ラクロスといった他のスポーツにも転用。多くのメーカーにコピーされ、スポーツウェアの定番として定着していった。

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1968
「レディ チャンピオン」を導入し 女性用アスレチックウェアを変革

1930年代から女性のスポーツ市場にも力を入れたチャンピオンは、1950年代に入ると女性専用にデザインしたスポーツウェアの製造を開始した。さらに1968年には伝統的な体育ユニフォームだけでなく、当時最新のスタイルを取り入れた「レディ チャンピオン」という専用ラインを導入し、Tシャツとショートパンツを組み合わせたモダンなスタイルへの変革を促進。1990年代に入ると女性ランナー向けのジョグブラも発売した。

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1980年〜1990年代
NBAと提携 全27チームの公式ユニフォームを制作

1980年初頭から20年以上に渡って世界最高峰のNBAと提携し、1990年に当時の全27チームの公式アウトフィッターに。また1992年のバルセロナ・オリンピックにおいては、初めてNBAの現役選手たちを招集した、史上最強とも称されるアメリカの男子バスケットボールチーム「ドリームチーム」のユニフォームも提供。さらに1996年のアトランタ・オリンピック時には、同じく初めてプロ選手たちで構成した女子のドリームチームにも、チャンピオンのユニフォームが着用された。

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1993年
94年、96年のアメリカ・オリンピック・チームの 公式アウトフィッターとなる契約を締結

この契約を受けて、チャンピオンは選手の着用モデルと同仕様のレプリカ・ラインを生産。1994年のリレハンメル・オリンピックに向けてレプリカ・コレクションを製作し、1996年のアトランタ・オリンピックに際しても、Tシャツやスウェットシャツ、ショーツ、帽子などのアイテムを製作した。

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1990年代当時に選手が実際に着用していたNBAユニフォーム(上)
1970年代のアメリカンフットボールチームジャージ(中)
2019年に選手が実際に着用していたBMXアメリカ代表ユニフォーム(下)

バスケにアメフトにBMXに…数え上げればキリがないほど多彩なスポーツのユニフォームや練習用ウェアなどを制作。当然素材やパターン、細部の仕様は各スポーツ毎にすべて異なるが、いずれもベストパフォーマンスを発揮できるように開発されている。

90年代米国4大スポーツスタイルがルーツの
ストリートカジュアルウェアが豊富!

“音楽”を中心に様々なカルチャーと
結びつきファッションアイコンに

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1980年代〜
世界的アーティストが
ミュージックビデオやライブで着用

この頃にはすでにブランドロゴを入れたブランデッドアパレルの販売をスタート。アスレチックウェアとしての垣根を越え、学生以外の人々にも人気を博していたが、80年代後半から90年代前半にかけて、名だたるアーティストたちがチャンピオンのアイテムをミュージックビデオやライブ着用したことで、一躍ファッションアイコンとして浸透。とくにパブリック・エネミーやウータン・クラン、サイプレス・ヒルなどのヒップホップ・レジェンドたちは、独自のチャンピオン・スタイルを披露し、多くのフォロワーを生んだ。

1990年代
アートからアウトドアまで
多彩なカルチャーと寄り添う

MoMA(ニューヨーク近代技術館)やハーレーダビッドソンなど、様々な施設や企業が、製品のクオリティへの信頼性からチャンピオンを採用し、独自のデザインで彩ったアイテムを展開。以降スポーツ以外のカルチャーとクロスオーバーする流れが加速していった。

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2000年代
世界的アーティストたちの影響で
「スーパーフード」が大流行

Nas(ナズ)や50 cent(フィフティーセント)といった、グラミー賞受賞経験のあるヒップホップ・スターたちが、チャンピオンの「スーパーフード」を愛用。彼らの地元、ニューヨークではそれを真似する若者が続出し、大ブームを巻き起こした。

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1990年代のNBAユニフォーム(上)
2016年のスーパーフード(下)

1990年代初頭、チャンピオンが手がけるNBAのレプリカジャージが、ストリートで大ブレイク。手頃な価格だったことから、少年たちもこぞって愛用していた。下は2000年代に世界中で流行し、ストリートファッションのアイコンとなった「スーパーフード」。ヘビーオンスな“スーパーフリース”素材や、左袖の立体刺繍ロゴ、コーンフーディーと呼ばれる、先が尖ったビッグサイズのフードなど、個性的なディテールで人気を博した。

「スーパーフード」を日本向けにアップデートしたアイテムなど
ストリートカジュアルウェアが多数!

“音楽”を中心に様々なカルチャーと 結びつきファッションアイコンに

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1980年代〜
世界的アーティストが ミュージックビデオやライブで着用

この頃にはすでにブランドロゴを入れたブランデッドアパレルの販売をスタート。アスレチックウェアとしての垣根を越え、学生以外の人々にも人気を博していたが、80年代後半から90年代前半にかけて、名だたるアーティストたちがチャンピオンのアイテムをミュージックビデオやライブ着用したことで、一躍ファッションアイコンとして浸透。とくにパブリック・エネミーやウータン・クラン、サイプレス・ヒルなどのヒップホップ・レジェンドたちは、独自のチャンピオン・スタイルを披露し、多くのフォロワーを生んだ。

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1990年代
アートからアウトドアまで 多彩なカルチャーと寄り添う

MoMA(ニューヨーク近代技術館)やハーレーダビッドソンなど、様々な施設や企業が、製品のクオリティへの信頼性からチャンピオンを採用し、独自のデザインで彩ったアイテムを展開。以降スポーツ以外のカルチャーとクロスオーバーする流れが加速していった。

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2000年代
世界的アーティストたちの影響で 「スーパーフード」が大流行

Nas(ナズ)や50cent(フィフティーセント)といった、グラミー賞受賞経験のあるヒップホップ・スターたちが、チャンピオンの「スーパーフード」を愛用。彼らの地元、ニューヨークではそれを真似する若者が続出し、大ブームを巻き起こした。

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1990年代のNBAユニフォーム(上)
2016年のスーパーフード(下)

1990年代初頭、チャンピオンが手がけるNBAのレプリカジャージが、ストリートで大ブレイク。手頃な価格だったことから、少年たちもこぞって愛用していた。下は2000年代に世界中で流行し、ストリートファッションのアイコンとなった「スーパーフード」。ヘビーオンスな“スーパーフリース”素材や、左袖の立体刺繍ロゴ、コーンフーディーと呼ばれる、先が尖ったビッグサイズのフードなど、個性的なディテールで人気を博した。

「スーパーフード」を日本向けに
アップデートしたアイテムなど
ストリートカジュアルウェアが多数!

100年の歴史を彩るタグの変遷

これまでの歩みの中で何度もデザインが変更され、バリエーションも多彩になったブランドタグは、歴史の生き証人であると同時に、それぞれに愛称がついてヴィンテージ愛好家同士の共通言語としての役割も担っている。

1930年代

1930s

「チャンピオン・ニットウェアカンパニー」に社名変更後の最初期ランタグ。

1950年代

1950s

通称「小文字ランタグ」と「大文字ランタグ」。ゴールする人間の絵をタグにプリントしたもの。50年代以前の代表的パーツである。このタグが付くスウェットは貴重とされている。

1960年代

1960s

上から通称「タタキタグ」、「ランナーインCタグ」、「ランナーズタグ」。リバースウィーブ®の古いタイプに見受けられる、四方を縫い付けたタグ。この時期に「チャンピオン・ニットウェアカンパニー」から「チャンピオン・プロダクツカンパニー」に社名変更された。現在、市場では貴重な存在。

1970年代

1970s

それぞれ「金単色タグ」、「赤単色タグ」、「青単色タグ」と「バータグ」。単色のものはリバースウィーブ®の70年代製に付くタグ。各一色の文字で構成されており、コレクターの間では常に人気の的。70年代製の青単色も赤単色もほぼ同時期のリバースウィーブ®に付く。「バータグ」はカットソーに付いていた。

1980年代

1980s

通称「トリコタグ」。チャンピオンのシンボルカラー、赤と青、そして白をあしらったタグ。プリント製なら80年代、刺繍型であれば90年代、と区別ができる。

1990年代

1990s

通称「刺繍タグ」。チャンピオンの象徴、リバースウィーブ®の剌繍タグ。90年代以降、最近まで使われていた。

100年の歴史を彩るタグの変遷

これまでの歩みの中で何度もデザインが変更され、バリエーションも多彩になったブランドタグは、歴史の生き証人であると同時に、それぞれに愛称がついてヴィンテージ愛好家同士の共通言語としての役割も担っている。

1930年代

1930s

「チャンピオン・ニットウェアカンパニー」に社名変更後の最初期ランタグ。

1950年代

1950s 1950s

通称「小文字ランタグ」と「大文字ランタグ」。ゴールする人間の絵をタグにプリントしたもの。50年代以前の代表的パーツである。このタグが付くスウェットは貴重とされている。

1960年代

1960s 1960s 1960s

上から通称「タタキタグ」、「ランナーインCタグ」、「ランナーズタグ」。リバースウィーブ®の古いタイプに見受けられる、四方を縫い付けたタグ。この時期に「チャンピオン・ニットウェアカンパニー」から「チャンピオン・プロダクツカンパニー」に社名変更された。現在、市場では貴重な存在。

1970年代

1970s 1970s 1970s 1970s

それぞれ「金単色タグ」、「赤単色タグ」、「青単色タグ」と「バータグ」。単色のものはリバースウィーブ®の70年代製に付くタグ。各一色の文字で構成されており、コレクターの間では常に人気の的。70年代製の青単色も赤単色もほぼ同時期のリバースウィーブ®に付く。「バータグ」はカットソーに付いていた。

1980年代

1980s

通称「トリコタグ」。チャンピオンのシンボルカラー、赤と青、そして白をあしらったタグ。プリント製なら80年代、刺繍型であれば90年代、と区別ができる。

1990年代

1990s

通称「刺繍タグ」。チャンピオンの象徴、リバースウィーブ®の剌繍タグ。90年代以降、最近まで使われていた。

1919

サイモン・フェインブルームらが前身となる「ニッカボッカ・ニッティング・ミルズ」を設立

サイモン、ウィリアム、エイブ・フィンブルームの家族3人が、ニューヨーク州ロチェスターにて、後のチャンピオン社となる「ニッカボッカ・ニッティング・ミルズ」を設立。当初は主にニット製品の卸販売を行っていた。

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(左)米国ニューヨーク州ロチェスターの当時の社屋
1922

ビル&エイブ兄弟が後を継ぎ、 1924年に社名を「チャンピオン・ニットウェア・ミルズ」に変更

1926

ウェントワース陸軍士官学校と提携

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1930年代

フード付きのスウェットシャツ「フーディ(パーカー)」を発明

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1933

ビル・フェインブルームがフロッキープリントサービスを提供するため「デュラクラフト・ニットウェア・カンパニー」を設立

当時はまだプリント技術が発達しておらず、文字を衣服に個別に縫い付ける必要があったが、ビルはフロッキープリントにいち早く着目し、「デュラクラフト・ニットウェア・カンパニー」を設立。レタリングビジネスに着手し、1935年頃には大学へフロッキープリントの製品を提供していた。

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設立当初のフロッキープリント加工と広告
1934

サム・フリードランドが「リバースウィーブ®製法」を考案1938年に製法特許を取得

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(左)サム・フリードランド(右)特許証明書
1935

「チャンピオン・ニットウェア・ミルズ」から「チャンピオン・ニットウェアカンパニー」に社名を変更

1939

海軍士官学校からの依頼によってリバーシブルTシャツを開発(1941年に完成)

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1950年代

米国洗濯協会に認定され、スポーツウェアのビジネスが拡大

1952年に体育教育の必要性を訴える論文が発表され、政府が働きかけたことで、学生向けスポーツ用品の需要が増加。すでに主力製品のひとつだったが、その品質の高さで米国洗濯協会に初めて認定されると、よりビジネスが拡大していった。

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1952

「リバースウィーブ®」が2度目の製法特許を取得

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1961

「リバースウィーブ®」にフーディが登場翌1962年には半袖スウェットシャツが登場

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1967

アメフト選手たちの要望に応えてナイロンメッシュジャージーを導入

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1968

「レディ チャンピオン」を導入し女性用アスレチックウェアを変革

1950年代には、すでに女性専用にデザインしたスポーツウェアの製造を開始。1968年には当時最新のスタイルを取り入れた「レディ チャンピオン」という専用ラインを導入し、Tシャツとショートパンツを組み合わせるモダンなスタイルへの変革を促進した。

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1970年代

トレードマークの“Cロゴ”がカタログに掲載される

当初はカタログなどで使用されていたが、1978年に初めてユニフォームにCロゴを採用。1980年代前半には全ての製品にCロゴが備えられた。

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1977

スポーツブラ「ジョグブラ」を発売

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1980年代後半

NYにおいてさまざまなミュージシャンがチャンピオン製品を着用し、音楽カルチャーとの結びつきが強固に

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右から80年代のTLC、Public Enemy、EPMD
1988

軽くて洗濯しやすい素材を使った「クラシックフリース」が登場

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1992

バルセロナ・オリンピックにおいて、米国男子バスケットボールチーム“ドリームチーム”にユニフォームを提供

1992年のバルセロナ・オリンピックにおいては、初めてNBAの現役選手たちを招集した、史上最強とも称されるアメリカの男子バスケットボールチーム「ドリームチーム」のユニフォームも提供。同チームは今大会で文字通りチャンピオンに輝いた。

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2001

1990年代で一度終了していたアメリカでの物作りを「MADE IN USA」として復活

惜しまれつつもアメリカ本国での製品作りは90年代に終了。だが2000年代に入ってまもなく、今日まで続く「MADE IN USA」が復活。原綿の調達から糸の紡績、生地の編み立て、縫製などの工程をアメリカ国内で行っている。


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2006

FIBAバスケットボール世界選手権においてスポーツブランドとして唯一のオフィシャルスポンサーに

2014

車いすバスケットボール日本代表のオフィシャルユニフォームサプライヤーに

2017

チャンピオンの伝統とファッション業界への貢献が認められMoMA(ニューヨーク近代美術館)が1980年代のリバースウィーブ フーディを展示

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2017〜2018

「リバースウィーブ®」に独自開発した機能素材 “STORMSHEL®(ストームシェル)”を採用した製品が誕生

表地に撥水加工を施しつつ、裏地にサーモライトファブリックを採用し、その中間に防風透湿フィルムをサンドした、独自開発ファブリック“ストームシェル”。撥水、防風、透湿、保温性に優れるこの機能裏起毛素材を採用したリバースウィーブ®は、屋外でのアクティブシーンにも対応。
翌年には独自開発素材“Polypropylene L.W.D.®” を採用した製品が登場


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2018

1988年に誕生した「クラシックフリース」をベースに開発した「MADE IN USA 9oz TERRY FLEECE」が登場

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2019

創業100周年の節目を記念し完全復刻コレクション「TRUE TO ARCHIVES」をリリース

チャンピオンの100年を超える歴史のなかで培ってきた素材、デザインなどを掘り起こし、細部まで忠実に再現した完全復刻ラインとして、「TRUE TO ARCHIVES」をスタート。


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2019

BMXアメリカ代表のユニフォームサプライヤーに

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2019

Eスポーツリーグ「NBA 2Kリーグ」とパートナーシップ契約を締結

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2019

日本ではグローバルスポーツブランドとして初のE-Sports専用ウェアを開発・発売

2018年に多数のプロゲーマーをサポートする“Team GRAPHT(チーム グラフト)”を運営するMSY株式会社と、オフィシャルチームウェアパートナー契約を締結。同チームの所属プレイヤーからの声をもとに、プレイシーンや遠征などの移動時におけるニーズを研究。2019年には帯電防止素材などを採用した日本初のeスポーツ専用ウェアを開発した。

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2020

Bリーグの「広島ドラゴンフライズ」のオフィシャルユニフォームサプライヤーに

2023

リバースウィーブ®に初となる難燃機能を備えた「リバースウィーブ® FRSW」が登場

自己消化性を有すモダクリルとコットンの混紡糸で編み立てた生地を採用することで、難燃機能を備えた「リバースウィーブ® FRSW」。焚き火や調理を行うキャンプシーンなどでも着用できる実用性で、リバースウィーブ®に新たな可能性を見出した。


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1919

サイモン・フェインブルームらが前身となる「ニッカボッカ・ニッティング・ミルズ」を設立

1919
(左)米国ニューヨーク州ロチェスターの当時の社屋

1922

ビル&エイブ兄弟が後を継ぎ、1924年に社名を「チャンピオン・ニットウェア・ミルズ」に変更

1926

ウェントワース陸軍士官学校と提携

1930年代

フード付きのスウェットシャツ「フーディ(パーカー)」を発明

1933

ビル・フェインブルームがフロッキープリントサービスを提供するため「デュラクラフト・ニットウェア・カンパニー」を設立

設立当初のフロッキープリント加工と広告

1934

サム・フリードランドが「リバースウィーブ®製法」を考案1938年に製法特許を取得

(左)サム・フリードランド (右)特許証明書

1935

「チャンピオン・ニットウェア・ミルズ」から「チャンピオン・ニットウェアカンパニー」に社名を変更

1939

海軍士官学校からの依頼によってリバーシブルTシャツを開発(1941年に完成)

1950年代

米国洗濯協会に認定され、スポーツウェアのビジネスが拡大

1952

「リバースウィーブ®」が2度目の製法特許を取得

1961

「リバースウィーブ®」にフーディが登場 翌1962年には半袖スウェットシャツが登場

1967

アメフト選手たちの要望に応えてナイロンメッシュジャージーを導入

1968

「レディ チャンピオン」を導入し女性用アスレチックウェアを変革

1970年代

トレードマークの“Cロゴ”がカタログに掲載される

1977

スポーツブラ「ジョグブラ」を発売

1980年代後半

NYにおいてさまざまなミュージシャンがチャンピオン製品を着用し、音楽カルチャーとの結びつきが強固に

右から80年代のTLC、Public Enemy、EPMD

1988

軽くて洗濯しやすい素材を使った「クラシックフリース」が登場

1992

バルセロナ・オリンピックにおいて、米国男子バスケットボールチーム “ドリームチーム”にユニフォームを提供

2001

1990年代で一度終了していたアメリカでの物作りを「MADE IN USA」として復活

2014

車いすバスケットボール日本代表のオフィシャルユニフォームサプライヤーに

2017

チャンピオンの伝統とファッション業界への貢献が認められMoMA(ニューヨーク近代美術館)が1980年代のリバースウィーブ フーディを展示

2017〜2018

「リバースウィーブ®」に独自開発した機能素材“STORMSHEL®(ストームシェル)”を採用した製品が誕生

2018

1988年に誕生した「クラシックフリース」をベースに開発した「MADE IN USA 9oz TERRY FLEECE」が登場

2019

創業100周年の節目を記念し完全復刻コレクション「TRUE TO ARCHIVES」をリリース

2019

BMXアメリカ代表のユニフォームサプライヤーに

2019

Eスポーツリーグ「NBA 2Kリーグ」とパートナーシップ契約を締結

2019

日本ではグローバルスポーツブランドとして初のE-Sports専用ウェアを開発・発売

2020

Bリーグの「広島ドラゴンフライズ」のオフィシャルユニフォームサプライヤーに

2023

リバースウィーブ®に初となる難燃機能を備えた「リバースウィーブ® FRSW」が登場

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